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大分地方裁判所 昭和59年(ヨ)185号 決定

債権者 秋吉清美

〈ほか五二名〉

右五三名訴訟代理人弁護士 古城敏雄

債務者 株式会社大分食肉流通センター

右代表者代表取締役 麻生聖治

右訴訟代理人弁護士 安部萬年

同 小林達也

主文

本件申請を却下する。

訴訟費用は債権者らの負担とする。

事実

第一当事者の求めた裁判

一  債権者ら

1  主位的申請の趣旨

債務者は別紙土地目録記載の各土地上に建設中の別紙建物・施設目録記載の屠畜場施設の建設工事をしてはならない。

2  予備的申請の趣旨

債務者は、別紙土地目録記載の各土地上に建設された屠畜場施設を使用して、これを操業してはならない。

二  債務者

主文同旨。

第二当事者の主張

一  申請の原因

1  当事者

債権者らは、別紙土地目録記載の各土地(以下、「本件土地」という。)付近に長年居住し、緑と水に恵まれた自然の中で都市近郊農業を営んでいる者である。

債務者は、昭和五九年五月ころ、本件土地上に別紙建物・施設目録記載の屠畜場施設(以下、「本件施設」という。)を建設して、屠畜場を営もうとしている者である。

2  侵害行為

債務者が本件土地上に本件施設を建設し、屠畜場を営むと、本件土地周辺に居住する債権者らは、その生命、身体及び財産に対し次のような被害を被ることが予想される。

(一) 汚水の流出

債務者は、本件施設を操業することによって生じる汚水一日四九二立方メートルを屠畜場内に散布して蒸発処理する計画を立てている。

しかし、右汚水をすべて蒸発させることは不可能であり、それらは地下に浸透し、七瀬川又は七瀬川水路に流入することになるが、債権者らは、右七瀬川水路からの取水によって、稲作、畑作及び椎茸栽培を行なっており、飲料水としても使用しているのであって、右水が汚染されることは、債権者らの生命、身体及び財産に対して、重大な悪影響を与えることが予想される。

(二) 水の枯渇

債務者は、本件施設において使用する水を屠畜場内の地下三〇〇メートルから汲み上げて使用する計画であるが、本件土地は古成層の上に阿蘇溶岩層、火山灰質土壌が堆積したもので保水が悪く、そのうえ海抜五〇〇メートルの高所にあるから、そもそも地下三〇〇メートルの所では水がなく、仮に存するとしても、その水は七瀬川水路の水であり、それを汲み上げることは、右水路の枯渇を招き、現在でも夏場には水不足のため時間給水している債権者らに甚大な被害を与えることが予想される。

(三) 法律違反

本件土地は、「農業振興地域の整備に関する法律」(以下、「農振法」という。)に定める農用地区域内にあり、本件施設の建設は農用地区域内の開発行為の制限に抵触し、違法であり、野津原町長は再三にわたって建設工事の中止を勧告しているが、債務者はこれを無視して工事を続行している。

(四) 手続違反

債務者は、前述のとおり、環境汚染による被害発生が予想される施設を建設し、その施設を使用して屠畜業を営もうとするのであるから、債権者ら地元住民に対し、公害防止対策につき誠意ある説明をしたうえ、その納得を求めるべきである。

しかるに、債務者は、右説明を行なわず、野津原町に対する公害防止協定の申し出においても、一方的で、興奮して暴言を吐くなど誠意ある態度は全くみられないものであった。

3  保全の必要性

本件施設から排出される汚水等によって、債権者らの生命、身体及び財産が侵害されることは明白であり、早急に建設を差し止め、また、完成しているのであれば、その操業を禁止しなければ、将来不測の損害をこうむることになるから、事前に建設工事及び操業を差し止める必要がある。

二  申請の理由に対する認否及び債務者の主張

1  申請の原因1の事実は認める。

2  同2の事実は争う。

なお、債権者らの主張に対し、次のとおり反論する。

(一) 汚水の流出について

債務者は、総額一億三九一八万円の巨費を投じて、屠畜場内に汚水処理施設を建設しており、右施設は世界最高の技術を駆使したもので汚水を完全に浄化しうるものである。

また、浄化した水は、本件土地五四町歩の内一五町歩の土地に散水して蒸発処理する計画であり、十分可能な処理方法であるし、かつ、蒸発処理で賄えない場合には、本件土地内の容量二万四〇〇〇トンの貯水池に最大排水一日全量三〇〇トンを八〇日分連続して貯水しうるから、排水が本件土地の外に流出することはない。

(二) 水の枯渇について

債務者は、昭和五六年一〇月二六日、地下三〇〇メートルまで井戸を堀り、既に毎分〇・四トンの水を汲み上げて、飲料水として使用しているが、この水は七瀬川水路の水ではなく、債務者の井戸によって、右水路の水が枯渇することはない。

(三) 法律違反について

農振法は経済法であり、私人間の権利義務を規定するものではなく、同法違反の行為が直ちに不法行為に該当するわけではないから、債権者らの主張は失当である。

(四) 手続違反について

債務者は、昭和五七年九月二二日設立されたが、それ以来、屠畜業計画を実施するため、大分県の担当部署と協議し、指導を仰ぎ、かつ、野津原町にも設立前から公害防止協定締結の協議を再三申し出ているのであって、地元住民との話合いの努力を尽くしている。

3  同3の事実は争う。

なお、債務者は、と畜場法所定の許可がない限り、屠畜業を行なえないのであり、未だ右許可の下りていない現在、本件仮処分の必要性はない。

理由

一  申請の原因1の事実は当事者間に争いがない。

二  差止請求権の存否

1  債権者らは、本件施設が建設され、これを使用して屠畜場の操業が開始されれば、七瀬川水路への汚水の流入や右水路の水の枯渇によって、債権者らの財産又は生命、身体が侵害されるとして、物権又は人格権に基づいて本件施設の建設工事の差止め、予備的に操業の差止めを求めるが、一般に、公害発生原因によって、土地所有権・占有権等の物権又は人格権、ないしはその行使が妨害され、あるいは妨害される蓋然性が大である場合に、加害者側、被害者側及び社会的な種々の事情を比較較量して、差止めを受ける側の被害及び社会的損失を無視しても、なお差止めを認容するのが相当であると解される程度の違法性、つまり受忍限度をこえる違法性の存在を要件として、被害者は、加害者に対し、物権又は人格権に基づいて、被害の発生を防止するための妨害排除ないし妨害予防請求権を有するというべきである。

2  そこで、本件における違法性の有無、程度について判断する。

(一)  汚水の流出について

《証拠省略》によれば、債権者らは、七瀬川水路の水を使用して、稲作、畑作及び椎茸栽培を行ない、かつ、債権者らの多くが、右水を飲料水としても利用していること(但し、野津原町の水道設備の普及状況については疎明がない)、右水路は温見川、屋形木川から取水して、債権者らの居住地区へ通じているが、途中で、本件土地に降った雨水等が流れ込むと推認される谷川からも取水していることが一応認められる。

右事実によれば、債務者が本件土地上に建設中の本件施設を使用して屠畜業を営めば、そこから排出される汚水が七瀬川水路に流れ込み、これにより債権者らに何らかの影響を与える可能性も考えられないではない。

しかし、債務者が排出予定の汚水は、《証拠省略》によれば、債務者が屠畜場内に建設した汚水処理施設により次の一覧表記載のとおり浄化されることが一応認められ、その汚水処理後の水質の数値は、大分県の上乗せ排水基準及びその他関係法令の排水基準にも適合していることが認められ、他に行政規制値を超えた劣悪な汚水が本件施設から排出される事実を認めるに足る疎明はない。

単位 mg/l

処理前

処理後

水素イオン濃度(PH)

5.8

6

最大8.6

8

生物化学的酸素要求量(BOD)

1000

20

最大1500

30

化学的酸素要求量(COD)

1500

30

最大2250

45

浮遊物質量(SS)

300

60

最大500

80

なお、本件施設の公害発生の蓋然性及び程度を判断するには、現に操業している既存の類似施設から排出される汚水の科学的データーと比較するのが適切な方法であると考えられ、《証拠省略》によれば、大分市大道町に大分市営と場が、大分県大野郡犬飼町に大分県畜産公社が、それぞれ存在することが認められるが、汚水の科学的データーについてはこれを裏付ける資料はない。

次に、汚水処理後の排水が、七瀬川水路に流入する可能性について考えてみるに、《証拠省略》によれば、本件施設関連の総敷地面積は約五四町歩(公簿面積合計五三万四五四五平方メートル)で、公道から約八〇〇米の取付道路を進入した山林内に本件屠畜場施設が設けられ、その排水処理施設から出る一日当り四九二立方メートルの排水を本件土地内約一五町歩に散水して天日により蒸発処理する計画であるが、右処理計画については、それなりの科学的根拠も示されているのみならず、《証拠省略》によれば、蒸発処理で賄えない場合に備えて、債務者は本件土地内に排水量の一〇日分以上に貯水しうる貯水池を造り、不順な気象条件にも対応していることが一応認められるから、汚水処理後の排水が七瀬川水路に流入する可能性は少ないものと推認される。

したがって、債権者らが、本件施設から排出される汚水によって、その生命、身体及び財産に重大な被害をこうむる蓋然性は少ないと推認されるから、債権者らの主張は理由がない。

(二)  水の枯渇について

債権者らは、債務者が本件土地内の井戸から汲み上げる水によって、七瀬川水路の水が枯渇すると主張するが、これを認めるに足る疎明資料はなく、右主張は理由がない。

(三)  法律違反について

債権者らは、本件施設の建設が農振法違反の行為であると主張するが、同法違反の事実から、直ちに地元住民である債権者らに右建設工事を差し止める権利が生ずるとは解しえず、また、同法違反行為によって、債権者らのいかなる具体的権利が侵害されるのか明らかでないから、右主張は失当というべきである。

(四)  手続違背について

債権者らは、債務者が地元住民に対して、事前に本件施設の公害防止対策について誠意ある説明をしなかったから、本件施設の建設は違法である旨主張するが、現在のところ、住民参加を義務づけた環境アセスメント法は存在せず、また、《証拠省略》によれば、債務者は、屠畜業を行なうために本件施設建設の当初から大分県の担当部局の指導を仰ぎ、資金調達の段階から建設業者の選定、施設の機能等に至るまで、その指示に従い、また、本件施設のできる野津原町にも公害防止協定の締結を求めて、その協議を申し出たにもかかわらず、野津原町において拙劣な対応に終始したため未だ協定締結の運びには至っていないことが一応認められ、このように債務者は、環境汚染を未然に防止するため、債権者らの居住する地方公共団体である大分県及び野津原町に対し屠畜場の建設計画を明示し、公害防止のための指導及び指示を求めているのであって、本件施設の建設にあたり、債務者の側に求められる公害防止のための手続は一応尽くしているというべきであるから、債権者らの右主張は失当である。

三  よって、債権者らの本件仮処分申請は、被保全権利について疎明がなく、保証をもってこれに代えることも相当でないから、仮処分の必要性について判断するまでもなく、これを却下することとし、申請費用の負担につき民訴法八九条、九三条を適用して、主文のとおり決定する。

(裁判長裁判官 三村健治 裁判官 白井博文 西田育代司)

〈以下省略〉

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